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Basilica di San Pietro in Vaticano
2017/10/27 20:00

和名【サン・ピエトロ大聖堂】

サン・ピエトロって言うのは

日本での著名な呼び方をするなら

『聖ペテロ』の事。


日本人だと、ペテロとかぺトロって聞いても

ピンと来ない人が多いかもしれないけれど

日本を一歩外に出てみると、

知らない人の方が少ない様な、有名な人。


ちなみに、英語読みだと

『ピーター』

世界でピーターと名付けられた人の

元々の由来になったと言われる人。


イエス様が御存命の時には

従う弟子が多く居たのだけれど

その中でも選りすぐりの12名を

カトリック風に呼ぶと『12使徒』。


更にその中でもリーダー格だったのが

ペテロ、ヤコブ、ヨハネの

3名だったと、今日に伝わっている。


この3名は、

天地創造する時に従った

ミカエル、ガブリエル、ルシフェルの

3大天使がそれぞれ

知=ルシフェル
情=ガブリエル
意=ミカエル  

を司るのと同じ関係性で

知=ヨハネ(知識、書簡を伝える)
情=ヤコブ(感情、情熱、愛を伝える)
意=ペテロ(形式を伝える)

と言うように、


それぞれが感じた形で

師の教えを受け継ぎ、

後世に伝えようとしたって

私は思ってる。


3名それぞれがどれも

欠かすことの出来ない存在なのだけれど

中でも、イエスさまが特に伝えたかったのは

『感情』『愛』だったんじゃないかな。


そう考えると、初期の教会では

激情家で、情を中心としたヤコブが

リーダーだったのも頷ける。


大分端折っちゃうけど、、、紆余曲折を経て

現在の分布を大まかに分析すると

知:ヨハネの知恵を中心→プロテスタント
情:ヤコブの愛情を中心→東方正教会
意:ペテロの行動を中心→カトリック

と言うような感じだと思う。


私の家はプロテスタントの一派だけれど、

こんな分析をしているのがプロテスタントらしいかな(笑)


ただ、何度も思うけれどイエスさまは

【キリスト教】を創りたかったわけじゃない。

ただ純粋に神さまの教えを伝えていた。

そこは絶対にぶれては行けないと思う。


神を信じようと、仏を信じようと

何を信じていなくても、

素晴らしい存在は沢山居るのだから。

そこから多く学べる存在でありたいと思う。


以前訪れたサンピエトロ大聖堂は、

ローマで殉教したと伝わる

聖ペテロのお墓があった言われる場所にある。


ただ、ペテロ自身はローマで殉教したと言うのは

あくまでも、伝承であって

歴史学、科学的に証明された訳では無いのだとか。


アッピア街道での

「Quo vadis, Domine?」のやり取りが

余りにも有名だけれど、

そこ自体は聖書には載っていない。


でも、何度も主を裏切りながらも

その度に赦されて、最期は信仰を貫いて

亡くなったのだと私は勿論信じてる。


ペテロは、リーダーとして

不完全ながらも一生懸命な信仰姿勢が

今日、世界で最も版図の大きなローマカトリック教会となり

その≪初代教皇≫として、信徒たちの絶大な支持を集めている。


初期のクリスチャンでの

伝道師として最も名高い【パウロ】は

イエス様の生前には立ち会っていないことから

生前からの弟子たちには煙に巻かれていたのだそう。


でも、ペテロは

パウロを決して否定せず

パウロの信仰姿勢を大いに評価し

絶大な信頼を置いていた。


パウロが今日その功績を称えられるのには

ペテロの理解があったことが

大きな原因にもなったのだと思う。


その『ペテロ』の名を継ぐ

サンピエトロ大聖堂はやっぱり壮大なスケール。

流石にローマカトリックの総本山。

カトリックならずとも、訪れておいて損はないと思う。


煌びやかでありながらも

気品を感じさせ、所謂「成金」の建物とは違う。

と、わたしは感じた。


特に、夕暮れ時に醸し出す

バチカン市自体の雰囲気が

とってもステキだった。


2000年ほど前、

ペテロの信仰がキッカケで生まれた国。

想いは日記に一度では綴れないほどだけど・・・


これからもヴァチカンが

神様とイエス様によって祝福されますように。

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