祝マーベラスサンデー
日高優駿スタリオンステーションにて
種牡馬復帰!
種付け料は受胎条件30万円
出生条件40万円。
血統にはうとい私でも
大好きな早田牧場については
いくつか本を読んだ。
マーベラスサンデーの父は早田生産馬には
めずらしいサンデーサイレンス
このサンデーサイレンスと同時期に
早田が輸入したのがブライアンズタイム。
そこにいきつくには早田にも
社台にも歴史がある。
早田光一郎と吉田照哉
早田牧場は福島で
社台グループの祖吉田善助が
白老に社台牧場を開く以前に馬の生産を
はじめた日本古来馬産牧場。そこの跡継ぎとして生れた光一郎は北里大学で獣医学を学んだ後に1972年カナダに渡り武者修行。
そこで早田は親からもらった資金で
73年1頭の2歳馬を購入。
その牝馬にモミジと名を授けた。
モミジは大活躍し、最優秀3歳牝馬などの
タイトルを獲得する名馬に。
獲得賞金は、当時の約1億円超え。
現在の価値に換算すれば何倍になるだろうこの資金と繁殖馬モミジで
74年早田牧場は満を持して
北海道新冠へ移りモミジファームを開場。
のちに早田牧場新冠支場へ 。
同時期の72年には社台の吉田照哉が
ノーザンテーストを購入。。
いわずもしれた社台グループの基礎とも言える日本血統史を塗り替える大種牡馬になる。
早田光一郎も同じ
Northen Dancerの初年度産駒
ヴァイスリーガルを輸入した。
2歳時に8戦8勝で
カナダの年度代表馬。
種牡馬としても75年〜77年にカナダのリーディングサイアー。
このほかにも数々の種牡馬を輸入していく。
しかし、早田生産馬は重賞すら勝てない日々が13年間もつづく。それでも早田は牧場を日本一の生産牧場にするというバイタリティーと野心を抱きながらどんどん拡大していく。 78年に生産頭数5頭でスタートした早田牧場はバブル景気にのり90年には50頭をも産みだす牧場に成長。
そんな中1991年ようやくクラシックにのった馬があられれた。
自身が動入に携わった
ダンサーズイメージを母の父に持つ
レオダーバンが菊花賞を鮮やかに勝利!
早田牧場はようやくG1タイトルを獲得。
生産牧場を始めて初の名誉を手にした。
この13年は早田にとって種まきだったのだろうか?ようやくその種まきが実りはじめた。
このレオダーバンを皮切りにようやく重賞をにぎわす感じになったこの90年代。
ブライアンズタイムの導入に行き着く。
しかしこのブライアンズタイムは目当てだったサンシャインフォーエバーに血統が酷似していたのでかわりに購入した、代用だったらしい。まさかその代用馬が早田を代表する三冠馬ナリタブライアンの父に
なるとは本当に血の巡り合わせは皮肉だ。
そして
マーベラスサンデーの
宝塚記念勝利!
父はサンデーサイレンス。
母モミジダンサーは、
モミジとヴァイスリーガルとの間に
生まれた牝馬。
こんな自身が何十年もかけて
血をつないだ馬がGIを勝った。
それも早田の原点ともいえるモミジの孫。
喜びは想像を絶っするものだっただろう。
まさに早田光一郎の集大成が
マーベラスサンデーなのだ。
そのマーベラスサンデーが
このたび種牡馬復帰!
もう早田牧場を新聞馬柱で見ることはなくなってしまったけど、血は繋がる。
これからも、
早田の持ち込み生産馬ビワハイジの仔
ブエナビスタは社台生産馬だけど
私には早田光一郎がみえる。
世界の血統史を塗り替えた
Northen Dancerの血一滴は
1カラットのダイヤモンドよりも
価値があると言われる。
現在の競馬は Northen Dancerなしでは
考えられないからだ。
その血に魅せられた
吉田照哉と早田光一郎
命運はわかれたけど、
同じ時代にこの対照的な二人がいて、
今の競馬史があるのだと思う。
苦労や挫折そして栄光。
まさに一日にしてならず。
早田光一郎が90年代に放った輝きはまだ10代だった私には本当に眩しかった。短くも美しく。巨大になった社台グループに一代で迫った早田光一郎。最後は各所に多大な損害と被害者をだしてしまったけど、日本人離れしたあのバイタリティーは私は忘れない。
がんばれ
マーベラスサンデー!
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